ザックリ!東濃探検隊♪

生まれも育ちも青森県で東濃初心者の「わぁ」が、未知の土地「東濃」をザックリ!探検します♪

【つれづれ】 謙虚であること、気遣いを忘れないことの大切さと難しさ

ここ3回は12/15の歴史講演会の話

【告知】 12/15開催「東濃を楽しむ歴史講演会」とは? その③ - ザックリ!東濃探検隊♪

ばかりだったので、久しぶりのつれづれエッセー(笑)
今回のネタは昔からずーっと自分の中の大きな課題だったこと。

わぁにとっては、謙虚で居続け常に周囲への気遣いを忘れないでいることは、とても難しいことだ。

特別に傲慢な振舞いをするわけではないのだけども、自己主張が強く日々アレコレと考え続けているせいで「自分が正しい」という思いも強いため、どうしても周りを振り回し、巻き添えにして引きずり回し、迷惑をかけたりすることが多い気がする。

もちろん、そんなことではいけないと日ごろから意識しているわけだが、ふとしたことでそういう面が顔を覗かせ失敗につながるようなことがあって、そういうのが何よりも凹む。

特にここ数年は凹んだり気持ち的に落ち込むことが多かったので、そうした失敗がないようにと自分なりに考えて工夫したり誰かから話を聞いたりしていると「良い心づかいで相手を思いやり、そうした行動をしている時は無私の気持ちに近づくし、それを続けていけば自分本位の言動や行動が治まる」というのがしっくりきている。

その一方で、そうした思いを持って実行していても自分の身勝手さが表に出てしまったり、三方善のつもりで自分にも相手にも社会にも良いように、と考えているはずなのに非難されて思うような結果にならなかったりすると、頑張る気持ちが強いだけに凹み方も激しいものになる(^_^;)

本当であれば、そういう時こそ自分の至らなさを反省して「これでまた少しでも改善した。変わるきっかけができたんだ」などと前向きに思えれば良いのだけども、なかなかそう上手くいってないのが現実だ。

そうしてみると、上手くいったことに対しては心から喜べば良いが、失敗などは少し自分から切り離して出来事の失敗点だけを取り出して観察し、改善につなげていくに留めるのが良いのだろう。
そこに気持ちを乗せてしまうと苦しむのがオチだ。
上手くいったことには気持ちを乗せて喜び、楽しみ、失敗は単なる出来事として改善のための材料だと感情から切り離す。

今後はそうしていこう。
よし、記事を書きながら自分なりに考えがまとまったぞ!
へばまた(^O^)